株式会社青春

写真家・植田正治先生に出会う旅


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植田正治という写真家をご存知でしょうか。

もちろん、写真に触れたことがある人なら誰もが知っている写真家。

鳥取砂丘での前衛的な演出写真は「植田調」と知られ、海外での評価も高く、
生涯アマチュア写真家であり続けた日本を代表する写真家です。

ご縁をいただき、わたしたちは鳥取県境港に行ってきました。
今回の旅の目的はある人にお会いすること。

私たちが会いに伺ったのは、植田正治先生の三男である植田亨さん。

有名な鳥取砂丘の家族写真「ぼくのわたしのお母さん」(1950年)で、
植田正治先生に肩車されている坊ちゃんが亨さんです。

このお話しをする前に、亨さんと繋がるきっかけとなった出来事を少し。

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昨年7月の写真教室、生徒のみなさんにある宿題を出しました。

テーマは「写真家の写真を真似してみよう」
袋の中に10人ほどの写真家の名前が入ったくじを入れ、
引き当てた写真家の写真を1枚選び、真似をするというもの。

森山大道、荒木経惟、蜷川実花、ライアンマッギンリー、杉本博司・・・
その中に「植田正治」の名前もありました。

たまたま「植田正治」を引いたのが、生徒のOさんでした。

彼女は不思議な縁を感じ「植田正治をもっと知りたい!」と、鳥取まで足を運びました。

鳥取砂丘、大山の植田正治写真美術館、
そして彼が生まれた生家と「植田カメラ」のある境港へ。

植田正治の生家を見つけ、くいいるように見ていた彼女に気づいたある写真家の方が
「今植田先生の自宅で撮影会をしてるんだけど、よかったら一緒にお家入る?」
と声をかけてくれたんだとか。

自宅に招かれ初めて出会ったのが植田亨さん。
そこから彼女と亨さんの交流が始まり、私へと繋いでくれました。

写真教室のたった一つの宿題がきっかけで生まれたご縁でした。
行動することの素晴らしさを、Oさんからも改めて教えていただきました。

(ちなみに、3月の卒展では彼女は亨さんをテーマに選んでいますのでお楽しみに。)

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さて、話しを戻しますね。
植田先生が生まれ晩年を過ごした自宅を、亨さんに案内していただきました。

玄関で出迎えてくれたのは、作品にも使用された黒いハット。
リビングに繋がる部屋には愛用の8×10の大判カメラが鎮座していました。

そして奥の仏間には先生の写真が飾られていました。
植田先生のお仏壇に手を合わせる日がくるとは、夢にも思いませんでした。









植田家に残る様々な美術品や民芸品コレクション、
愛用のカメラやジュラルミンケースも見せていただきました。

植田先生はシャツが大好きだったそうで、
たくさんのシャツが今も丁寧に保管されていました。

リビングに戻ると、亨さんが言いました。
「さて、何がみたいですか?」

わたしは答えました。
「・・・植田先生の写真が見たいです。」

すると亨さんは奥から大切に保管されている箱を持って来てくださいました。
中から、数々のオリジナルプリントが出てきました!!!
(もちろん、写真は撮影できないのでしっかりと目に焼き付けました。)

誰もが知る名作中の名作から、未発表の作品、
有名な写真の前後のカットの写真や、ネガと実際のプリントの比較など、
大変貴重な写真の数々を見せていただきました。

作品保存の観点から、まず見ることができない
自然光環境下でのオリジナルプリントの鑑賞体験。
もちろんその全てが植田先生自身がプリントした写真です。

本当に特別な時間でした・・・。
かれこれ、1時間以上ずっと写真を見ていたと思います。



植田先生は暗室に篭っては、ありとあらゆる新しい試みに挑戦していたそうです。

有名な砂丘シリーズでは人物の影の方向にこだわり
右端の人物だけ影の向きがなんだかおかしい。
(現像の段階で、影の位置が変わるよう写真を加工していたのです!)

物語性を高めるために、写真の人物を縦にぐいっと伸ばしてみたり。

一番驚いたのが家族写真のオリジナルプリントです。
よ〜く見ると、写真左上に植田先生の指紋がくっきりと残っていたこと!
これはミスプリントではなく、植田先生が意図的にやったものに違いないとの見解だそうです。
自分の写っていない家族写真に、自らの存在を残そうと試みたのでしょうか。

いたずら少年のように写真に様々な仕掛けを施す。
もし植田先生がご存命なら、
デジカメやフォトショップをガンガン使っていたかもしれません。
写真を整理している亨さんは、写真からメッセージを読み取りその度に驚かされるそうです。

まるで、この写真を見る未来の誰かに向けて潜ませたトリックのよう。
息子である亨さんが写真を観察しては発見し、その謎を解明していく。
時代を超えて親子が写真で繋がり、会話しているように見えました。

植田先生は無邪気で可愛いこどものような人でした。 

今回の旅で、植田正治という日本の写真史に永遠に残る写真家が、
なんだかとても身近に感じた日でもありました。

植田先生が過ごした、光の入る天井の高いリビングで
生活の匂いや彼の愛した民芸品・たくさんのカメラに触れて、
写真を撮ることの根源的な素晴らしさを改めて感じました。

わたしたちの後ろで、植田正治が微笑みながらこちらを見ていました。
植田先生がすぐそばにいるような温かい感覚がありました。



最後にちょっと不思議な話を。

一緒にいた妻が、
「実はリビングにいた時に植田正治の声が聞こえたんだ」
と話してくれた。

「植田先生はなんて言ってたの?」
と聞いたら、

植田先生は
「おもしろいでしょう?」
と言ったそうです・・・。

なんだか、わたしには本当にそんな気がしてならかった。

わたしたちは、日々新しい事業(MEMORI)に頭を悩ませています。
例えば写真の持つ意味だったり、家族写真の最適な存在の仕方だったり・・・。
写真をもっと知りたくて、どうしても亨さんにお会いしたかったのです。

写真を撮ることも見ることも大好きだった植田先生。

オリジナルプリントの端々から滲み出る
写真愛と創意工夫、表現することにまっすぐに純粋な心。

植田先生の有名な言葉、「写真するよろこび」。
わたしも自分なりの写真するよろこびを胸に、写真と向き合っていきたいと思います。

「写真」と「写真にまつわるストーリー」に大きく心動かされた旅でした。
快く私たちを迎えてくれて、素晴らしい時間を提供してくださった 植田亨さんに、心からの感謝を込めて。

本当にありがとうございました。



今年も、冬季の休館を終え3月からオープンする
植田正治写真美術館に、みなさまもぜひ足を運んでみてください。
写真が好きな人も、そうでない人にも絶対に訪れてほしい美術館です。

わたしも、生徒たちを連れてまた来月遊びに行く予定です。

http://www.japro.com/ueda/

※尚、生家は一般公開されておりませんのでご注意ください。

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